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第13回大阪検定を歩こう会(OKA) 竹内街道1400年記念を歩く 上ノ太子から長尾神社

第13回は我が輩の担当である。1400年記念に対抗して国境企画第3弾記念という(対抗にもならぬ足下にもおよばぬ)OKA1周年記念イベントで、竹内峠を越えてやるぞと竹内街道その最終コース上ノ太子から長尾神社15キロ それにプラス叡福寺・太子町ゴール付近でウロチョロを含めてざっくり20キロを歩くのだ。
思えば1年前にOKAを発足させたときは同じく国境(くにざかいネ 念のため)企画第一弾暗峠であった。あの頃は若かった・・・・まちがいなく一歳は。
スタート地点近鉄南大阪線上ノ太子駅頭で感懐に耽っていると、雲行きが怪しくなってきた。集合時間40分前に着いたときは陽光が差していたというのに。
おまけに寒くなってきた。天気予報はこんな時はいやに能く当たる。
20キロ歩くというのにこれでは少々つらい道中となりそうではないか。
もひとつおまけに今回はお嬢というか姫というか、かの千世ちゃんは正体不明の病に倒れてしまった。
だから本日は女っ気なしGG4の精鋭野郎部隊で決行となる。雨がなんだ、峠がどうした。
しかし、酷道166号線とかぶる部分は冗談なしに怖いね;;1400年記念というからにゃ全コース婦女子でも安心して歩けるようにせんかい!旗や幟に金かけるんじゃないよ!
どうせGG4だけの女っ気なし4人組なら、女人禁制の大峰山にしときゃよかったか。(なんか八つ当たり気味だなぁ)

竹内街道は後からずっとつきあうので、まずは名刹叡福寺(上ノ太子)へ。
酷道166号線よりもはるかに立派な町道太子線を、すでに霧雨氷雨状態でふりかかる雨の中、歩を進める。
そして これが本堂である。立派な建造物だ、天気が悪いので境内に人は少ない。
私は少々の雨模様の天気の方が眼に優しいので最近雨が嫌いでなくなった。

しかし、あまり長い時間のPC作業は天敵なので、今までよりはコンパクトに書かせて頂く(当分はね)。
この寺が有名なのは別称のとおり聖徳太子さんに関係がある。ていうか墓所である。
これが宮内庁管轄の太子廟である。母者と奥さんといっしょに眠っておられる。三骨一廟というんだそうな。
奥さんはトジコさんでなくカシワデさんのほうである。

ダンプや大型トラックがギャバババンブッシュウーンと走り来る166号線とカブリの部分を除くと
かように歩きやすい素敵な道が竹内街道あちこちにあるのだ。
ここに来るまでに西方院により、
「大阪にある日本一の収集家」 KHさんのおかげで
蘇我氏が現在まで系脈をつなげておられることを知った。
ここも彼のコレクションファイルに書き加えられることになるのだろう・・・
また太子町役場(公休日)では親切な当直の女性から地図や資料をいただく。

太子町の竹内街道資料館に見学するためによる。雨が本降りになってきたのでここでレインコートを着る。
まったく寒くなくなった(w
途中、万葉の森で昼食。今日はさすがにすいている。
岩屋越えの希望もあったが、二上山に登るわけだし雨で足下が悪くなるだろうから
竹内街道の本線を選び、ここが頂上。もう奈良県である。

それから、道標もないような分かれ道をいくつか(間違わず)過ぎて、竹内集落に入り
ここが芭蕉の立ち寄った綿弓塚である。
雨がほぼ上がってきた。

長尾街道と交差する地点には立派な道標がある。
こんなところにはなかっても不自由はしないのだが・・・もっと建てるところがあるだろうに、ひとで。

長尾街道の名前の由来ともなる長尾神社である。
こぶりながら感じの良い神社。空気感の透明な神社は好きである。
奈良にはパワーのこもったような神社も多いが、こういう神社もけっこう多い。
ここから当麻寺へ行くには4時をまわってしまい、中途半端な拝観しかできないので断念する。

そこで磐城駅から帰るつもりがはずみで尺度駅まで歩いてしまう;;;
これなら当麻寺へよった方がよかったかな・・・・
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